東九条マダンとは

東九条マダン趣旨文

民族交流のマダン

“マダン”とは“広場”の意味です。「東九条で、韓国・朝鮮人と日本人がひとつのマダンに集い一つになって、みんなのまつりを実現したい」--このような思いをこめて名付けられました。

「東九条マダン」は、与えられる文化ではなく、自ら発見し創り出す民衆文化を大切なテーマにしています。とりわけ在日韓国・朝鮮人にとって民衆文化との出会いはとても貴重なことだと思います。日本への定住化が進む一方で、韓国・朝鮮人としてありのままに生きることの難しさに悩む「在日」は多いはずです。いま、民衆の民衆の民衆文化を受け継ぎ創造していく経験を通して、韓国・朝鮮人としての自分を真正面に見すえ、表現していくことの大切さがあらためて問われています。

東九条は、京都で最も多くの在日韓国・朝鮮人が住む地域です。道端では韓国・朝鮮語のお喋り、店先では韓国・朝鮮のおかずの品々にふれることができ、生活に根づいた韓国・朝鮮文化を掘り起こせる町です。だから、ここで行われる「東九条マダン」は、民族交流の場になるとともに、韓国・朝鮮人にとって、自分を見据え表現するかけがえのない場になるだろうと思います。

もちろん、「東九条マダン」は日本人にとってのまつりでもあります。少数者を無視し、差別し、排除する傾向のいまだに根強い日本社会にあって、東九条は、日本人と韓国・朝鮮人が生活する中でお互いの交流をはぐくんできた町です。「東九条マダン」は日本人にとって、共にチャンゴをたたきキムチを食べながら、韓国・朝鮮の文化、歴史、生活に出会い、理解し、あらためて自分(日本人ということ)を見つめなおす場になることでしょう。あるいは韓国・朝鮮の民衆文化創造に参加する中で、では自分たち日本人の創る文化とは何か、そんなことを考えさせられる場になることでしょう。カスタマイズはご自由になさってください。

共生のマダンへ

東九条には、民族的立場の違いだけでなく、様々に立場の違う人が生活しています。被差別部落民、障害者、老人、子供……。もちろん、それらの人々を含めた総体として、この町はあります。立場の違いによって私達を隔ててきた壁を取り除き、相互交流、相互理解、相互発見にもとづいて”他者”同士がともに生きる共生の場こそ、喜びと希望に溢れた場なのだと思います。すべての私たちの共生を確かなものにし、一人一人が自らの生を確かなものにするために、この東九条の地に文字通りの”一つのマダン”を実現できればと思います。

東九条マダン成功のために

  1. 韓国・朝鮮人、日本人をはじめあらゆる民族の人々が、共に主体的にまつりに参加し、そのことを通して、それぞれの自己解放と真の交流の場を作っていきたいと思います。
  2. 朝鮮半島にルーツをもち日本で暮らすすべての人々が、ひとつの踊りの輪に参加できるような、世代交流の場とし、そのことを通じて、子どもたちの生きた民族教育の場を作り出したいと思います。
  3. 朝鮮民族の願いである南北統一に寄与するため、生活の場である地域から、和解と統一につながるマダンを作っていきたいと思います。
  4. 東九条で生活するさまざまな人々が、共に生き、人と人が真に触れ合える、そのようなマダンにしたいと思います。

いこか つくろか みんなのマダン